伝説の美容師と言われた「須賀勇介」さんをご存知ですか?
失礼ながら、私は存じ上げませんでした。。
調べてみると、カリスマ美容師ブームの前に活躍していた
世界的なカリスマ美容師で、
雲の上のような存在のお方だったという事がわかりました。
私より下の世代(20代、10代)の美容師さんは、須賀さんの事を知らない人は実は多いのではないかな?と思ったので、
今回は須賀勇介の事について書いていこうと思います。
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プロフィール
出典:http://ny.assort-hair.com/blog/2014/01/05/%E3%81%9F%E3%81%BE%E3%81%AD%E3%81%8E%E9%A0%AD%E3%81%AE%E8%80%83%E6%A1%88%E8%80%85%E2%98%86%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AF%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E7%BE%8E/
名前:須賀 勇介(すが ゆうすけ)
生年月日:1942年2月18日
没年月日:1990年9月14日
出身地:中国・河北省石家荘市
出身校:山野美容専門学校卒業
職業:日本とアメリカで活躍したヘアスタイリスト
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当時、四天王と呼ばれたヘアスタイリスト(須賀勇介・宮崎定夫・田中親・イトウゴロウ)の一人。
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坂巻哲也や松尾俊二など、須賀勇介の影響を受けたヘアスタイリストは多数。
NYの美容師で活躍する、高橋俊輔さんの叔父
経歴
都内サロンに勤務後、1966年当時NYでNo.1と言われた「ケネスサロン」に採用。
「ヴォーグ」「ハーパース・バザー」をはじめとする老舗雑誌や広告のヘアスタイルを担当。
「須賀さんに髪を切って欲しい」という人が多すぎて、ニューヨーク57丁目に「スガサロン」をオープン。
当時、ニューヨークで日本人がサロンをオープンするなんて、どれだけの努力と苦労をしてきたか…想像できないほどですよね。。
そんな須賀さんの顧客は
ジャクリーン・ケネディー(ジョン・F・ケネディー大統領夫人)、ダイアナ・ロス、
バーブラ・ストライサンドなどなど…オードリー・ヘップバーンも担当したことがあるそうです(゚д゚)。
日本では「スタジオV」のディレクターを務めていたそうです。
そんな須賀さんが更に有名になったのは、
1976年冬季オリンピックのフィギュアスケート金メダリスト、
ドロシー・ハミルのヘアスタイル「ハミルカット」。
出典:http://ny.assort-hair.com/blog/2014/01/05/%E3%81%9F%E3%81%BE%E3%81%AD%E3%81%8E%E9%A0%AD%E3%81%AE%E8%80%83%E6%A1%88%E8%80%85%E2%98%86%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AF%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E7%BE%8E/
何が凄いのかというと
ジャンプしたときに舞い上がるこのフォルム。
そして着地した時に綺麗に元の髪型に戻ることで、話題になりました。
引用:https://ameblo.jp/plum3sue/entry-11401926935.html
そして、あの黒柳徹子さんの玉ねぎカットの生みの親としても有名で、
黒柳さんが当時の写真をInstagramにアップしたことで話題になりました。
引用:Instagram
ニューヨークでは須賀さんの家に居候していたという黒柳さんは、大親友と語り、素敵なエピソードも語っていました。
「今でも思い出すと、須賀さんの海の別荘で手をつなぎながら、モーツアルトのオペラ『魔笛』の中の『夜の女王のアリア』を二人で声を揃えて歌いながら歩いていたことを懐かしく思い出します」
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エピソード
やはり雲の上の存在と言われるだけある…というエピソードをまとめてみました。
黒柳徹子さんのエピソード
それまでは、どこの美容院に行こうが、何本ピンを使おうが、なかなかまとまらなかった髪だったのに、須賀さんはピン1本であっさりとまとめあげた。黒柳さんは、その「腕」にいたく感動した
引用:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171219-00000001-jct-ent
RITZ オーナー金井豊さんのエピソード
「貯金がなくなったら帰ってくるよ」って、炊飯器だけ持って渡米した
「アメリカンヴォーグ」で
須賀さんは、どんなヘアを作ろうなんて考えて行かない。アヴェドン(カメラマン)が事前に簡単なイメージを送ってくれるだけで、当日にモデルを見て、衣装をみて、現場でインスピレーションを膨らませるんです。
須賀さんって技術やクリエイティビティの才能はもちろんですが、仕事も早いし、人間関係の作り方とか人懐こさとか、そういう全てが世界のトップクラスの人たちにも愛されたんだと思うんです。
僕たち後輩を飲みやカラオケに連れていってくれる兄貴肌的なところもあったし、サロンワークでは、VIPクラスのお客さまから一般のお客さままで分け隔てなくフレンドリーでした。
黒柳徹子さんともそう。そういった人間的魅力に溢れていた。
それもきっと、日本と海外で成功した理由のひとつと言えるでしょうね。
引用:https://www.qjnavi.jp/special/life_careerplan/sugayusuke/3/
その他にも、須賀さんについて書かれている記事もいくつか見つかりました。
死因
死因はなんだったのか調べていると、ゲイだったからエイズじゃない?なんて根拠もない噂が流れていました。
しかし、調べていくと、癌だったというエピソードが見つかりました。
何ガンだったかは不明ですが…。
帰国して築地の癌センターに入院した時は既に手遅れだったと聞きました。
引用元:http://blog.livedoor.jp/bondgirl2007/archives/65904203.html
癌だったという噂はこちらにも。
書籍
まとめ
須賀勇介さんは、60年台ニューヨークや日本で活躍した美容師。
アメリカで数々の著名人を担当し、「ハミルカット」や黒柳徹子さんの「たまねぎヘアー」の生みの親。
48歳という若さで亡くなり、死因はガンという噂がある。
私が須賀さんのような方について語る事など、おこがましいですが、
沢山の美容師に夢を与え、そして一番輝いていた時に天国に行かれるという
本当に「伝説」と呼ばれるのにふさわしい素晴らしい美容師さんだったのだろうと思いました。
今よりももっともっとハードルが高かったであろう海外で働くということ。
夢を現実にするという強い心。
美容師として、人間として日々忘れずに生きていきたいですね^^
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