ヴィダルサスーンってどんな人?プロフィールや経歴、名言について

  • 2017.12.25
ヴィダルサスーンってどんな人?プロフィールや経歴、名言について

ヴィダル・サスーンってシャンプーの名前っていうだけじゃないの?

という美容師さんはあまりいないと願いたいですが…

 

学生時代は私もなんとなく「カットがすごい人」という事しか知らなかったものです。w

なので今回は、ヴィダル・サスーンさんのプロフィールや経歴、エピソードや死因、名言、関連商品について書いていこうと思います。

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プロフィール

出典:https://www.takumaiwata.com/archives/1140

 

名前:Vidal Sassoon(ヴィダル・サスーン)

生年月日:1928年1月17日 

没年月日:2012年5月9日

出身地:イギリス生まれイスラエル人

職業:ヘアドレッサー、実業家

 

お父様が女たらしで家出をしてしまい、貧しい家庭に育ち7年間孤児院で育つ。

14歳で学校を中退し、理容室で見習いとして働いたんだそうです。

第二次世界大戦時、17歳だったため若すぎて正規軍に入れず、ユダヤ人退役軍人によってイーストロンドンに組織された抗ファシズムの民兵組織「43グループ」(en:43 Group)に加入。43グループの中で最も若いメンバーであった。1948年にはイスラエル国防軍に参加、第一次中東戦争で戦った。

 

経歴

技術のもとは、メイフェアにあったレイモンド・ベッソーネのサロンでの経験。

1954年ロンドンで初めて自分のサロンをオープン。

1963年、サスーンは古典的なボブカットを元とする、新たなヘアスタイルを発表し、『サスーンカット』として、現在の理容師や美容師の基本技術となっている。

1982年にエルサレムのヘブライ大学に反ユダヤ主義研究のためのセンター「ヴィダルサスーン反ユダヤ主義国際研究所(SICSA)」を設立。

2009年には大英帝国勲章を受章。

エピソード

結婚を4度もしているというサスーン!

お人柄を知れば知るほど、「そりゃモテるわ…」という感じですよね。

 

1度目は28歳の時。サロンのレセプション担当の女性と結婚したものの、1年で破綻。

2度目は39歳の時。女優、ビヴァリー・アダムスと結婚。3人の子供に恵まれますが、13年後に離婚。

3度目は55歳の時ですが、2年で破綻。

4度目は69歳の時だったようです。

「わたしが成功したのはチームに恵まれていたからだ」と今も周囲の人たちへの気遣いを忘れない。さまざまな経験をしてきたサスーン氏はそれを思いやりに還元し、日々体現しているのである。数年前、ニューオーリンズの街がハリケーン・カトリーナの被害に遭った際も、ヘア・ショーの収益金を使い、23軒の家を新築・寄付している

 それでもサスーン氏は、「もっとたくさんの家を建ててあげられなかったのが心残り」と振り返ると、「わたしはさまざまな人生を経験してきている。分けられる富があるときは、ない人たちと分け合うべきというのがわたしの信条なんだ」

代表作

彼の作品が発表されたのは60年代…

今でも美しいと思えるデザインを、その時代に生み出していたサスーンは凄すぎますね。。

NANCY KWAN (ナンシークワン)

1ウィリアム・ホールデン共演の映画『スージー・ウォンの世界』が大ヒットした直後、サスーンに、ナンシー・クワンの髪を切らないかという依頼があった。背中で揺れる長い髪をカットした。バックのトップレイヤーは短め、レイヤーごとにカットし、横は長めに残す。そうするとサイドから大きなアングルができる。頭を振っても元に戻る。ナンシー・クワンの写真はヴォーグ誌の表紙を飾り、アメリカ版やイタリア版でも採用され、新聞にも取り上げられた

引用:https://ameblo.jp/s-stella/entry-11756011816.html

THE FIVE POINT ( ファイブ・ポイント) 

サスーンが生み出したスタイルで最も有名なのは“ファイブ・ポイント・カット”だろう。モデルはグレイス・コディントン。後にアメリカ版ヴォーグ誌のディレクターになった女性だ。“ファイブ・ポイント・カット”は9年間のサスーンの仕事の集大成で、ある意味でジオメトリック・カットの到達点と言える。

引用:https://ameblo.jp/s-stella/entry-11756011816.html

A-LINE BOB ( エーラインボブ)

1966年ローマで行われたファッションショーのために作ったスタイル。計算されたカットで髪が揺れ動き、しかも形が崩れないこのボブスタイルは絶賛された。モデルとなったのはサスーン氏の当時のガールフレンド。

引用:https://ameblo.jp/s-stella/entry-11756011816.html

UNGARO’S first look (ウンガロ・ファーストルック )

1965年にエマニュエル・ウンガロが初めてファッションショーを開催。ヘアスタイルをヴィダル・サスーンが担当することになった。その際、製作したデザインの1つ。

引用:https://ameblo.jp/s-stella/entry-11756011816.html

THE ASYMMETRIC ( ザ・エイシンメトリック・ジオメトリック) 

1966年事故で片目を失ったお客様の為に考案されたスタイル。そのアイデアを原型にして、モデルのペギー・モファットのヘアをカットして出来たのがこの作品。

引用:https://ameblo.jp/s-stella/entry-11756011816.html

死因

死因は白血病だったそうです。

2011年に公表し、闘病生活をしていましたが、2012年にロサンゼルスの自宅で息を引き取りました。

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名言

成功が努力の前に出てくるのは、辞書の中だけである

言うまでもなく、カット前に顔を分析し、骨格を知り、骨の高さを研究することで、どの角度から見ても盲点がないカットを徹底するんだよ。ヘアカットはお客をイスに座らせてチョキチョキすることじゃない。その人の骨格を研究することなんだ

瞳の奥に輝きを生む髪型を作ります

 

1960年代の感覚を今の時代に呼び戻せば 社会は変わる

今は利益が優先されているように思う。1960年代の私たちは、儲かるかどうかは分からなくても革新的な何かをすることに興奮していた。

関連商品

 
 
 

まとめ

ヴィダルサスーンは7年孤児院で過ごし、その後14歳で理容室で見習いをしていた。

第一次中東戦争で戦った後、美容師人生が始まった。

結婚は4度。死因は白血病。

現1960年代の作品は現代も多くの美容師に影響を与えている。

ドキュメンタリー映画も話題になった。

 

彼のように歴史に残る美容師人生、送っていきたいですね^^

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